12/01/2017
私の世界 私の願い
いつのころからか
自分の中で 受け入れられないこと
それがはっきりしてきました
暴力、嘘、人をだますこと
自分に嘘をつくこと
自分の望まないことをすること
もちろん、もとから暴力も嘘をつくこともできませんでした
けれど最近は、ドラマや映画のような架空のものでも
そのような場面を観ると涙がでてきてとまりません
たとえ賞をとるような芸術作品と言われるものであっても
もちろんテロや殺人事件などのニュースはなおさらのことです
身体が、魂に呼応して拒否するのです
私たちの周りの現実は、私たちの考えが作り出しているといいます
一人一人に世界があり、それを作り出しているのは私たちの願いであり思考です
私の願いは、この世の中を美しいもので満たすこと
この世界が美しいもので輝けば
私たちは自ずと幸せになり この世は平和な世界となる
そう思って行動しています
それが私の使命なのだと思うようになりました
けれど、それはわたしの願いであり使命であるのみならず
私たちはみな、美しい世界を創るために生まれてきたのだと思います
というよりも この世界はもとからとても美しく
私のまわりにいる人々も美しく
つねに美しい物ごとを創りだしています
どこにいても美しいものは見つけられるし
それによって私は感動をもらえるのだと思います
だからこそ それを周りの人にも届けたいと思っています
私の生きる世界は美しい
それは事実だと思うし
それがわたしにとっては もはや当たり前のこと
であるからこそ 私が観るこの世界は
美しくあり続けているのだと思います
けれどこの世には世界は醜いと思っている人も存在します
同じ世界に生きているはずなのに
なぜこんなにも受けとめ方が違ってしまうのでしょう
それは認識の違い
この世は美しいという考えを
私は自分の願いであることを突き抜けて
当たり前のこととして受け止めている
私たちは まわりのものごとを当たり前のこととして認識している
言い換えれば、自分の願いであり考えを
当たり前と思えるほどに信じきっていて
だからこそ それが現実として目の前に現れているのです
そう言えるのではないかと ふと思いいたりました
そう、私はすでに 自分のおおいなる願いを叶えていたのです
私の願いはすでに現実となっている
この事実に気づいたこと 気づけたこと
それは私にとって 大きなギフトといえるような
感動的な出来事でした
自分を信頼すること
その他の願いを叶えることも同じ
自分の想いを100%信じることができたときには
願いはもう叶っているのでしょう
それは時に困難な状況を前にして 難しいことかもしれません
けれど わたしたちはイマジネーション 想像力という
すばらしい力をそなえています
想像力 それは創造力にほかなりません
頭のなかに想い描く 夢や希望 願いは
そのまま現実となるのです
なぜって 素敵なことを想像しているとき
わたしたちは わくわくして楽しい豊かな気分になれます
そんな気分のときって なんでもできるような気持ちになります
そんな気分のときには
大きいことにもチャレンジできそうだし
自分にできないことは人に頼むこともできそうです
そしてできそうだなと思えたとき 人は実際に行動します
するとそんな時には大きな力になってくれる人が必ず現れるのです
なぜって わくわくして幸せそうな人のところには
他の人も自然と吸いよせられるように近寄ってくるからです
しかもわくわくした人ばかりが集まってくるのです
みなで楽しむことができるのです
願いの現実化ってまわりの人も巻き込んで循環する
すばらしい出来事なのですね
私にも次なる願いがあります
これは一見 お金もなにもない一人の人間には
なかなか出来ないようなことにも思えます
でもずっと想像し 妄想を膨らませていると
あ、こんな方法もあるなって
いろいろインスピレーションが湧いてきます
そこから取り組むと 実現できそうな気がしてきます
だめならだめで 他にも方法があるなって思えます
そうやって少しずつ一歩ずつ 願いの実現にむかって
歩んでいきたいと思います
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